Rio Bravoの日記

 

見物には、町の人たちがたくさんみえるんです。園長さんがその前に町に触れてまわってるんですね。立派な見物席もできてまして、手を叩いたりして、それはにぎやかなものでした。患者同士もなごやかなものでして、あたしは、あそこほどみんなの気持が温かかったところを知りません。みんながいたわりあって公立病院へ行ったら、みんながあんまり殺風景で、冷たくって、いやになったくらいでした。公立病院に行くというのは、深敬園に五年居るうちに、公立へ行けば入院費は要らないし、作業でお小遣くらいはまかなえるしするから、家からの送金も無しですまされるというlいろんな人が出入りするもんで、そういう知恵がつくんです。それで、女友だちと二人で相談しましてね、それなら公立病院に行こうということになって、事務所に行きまして、そ言ったんです。

そのとき、「主人のような方がまだまだ沢山おられると思いますから、調査をされて皆さんに上げて下さい。」と申し上げた。上役の人は頭をかいて、「そのお言葉は肝に銘じました。さっそく調査いたしましてよぎよう取り計らいます。

どうぞご主人様によろしくご立腹にならぬようにお伝え下さい。」と申された。退職金も使い果たし恩給だけの生活をしていた私どもに、二十数万円のお金は大金に思えて嬉しかった。夫は喜んで、「おいお母さん、一生にただ一本のヒットを打ったじゃないか。」と言った。そして、「お前は偉いよ。終戦後大分心臓が強うなったね。」と言って笑った。「この 第一部星は見ているお金は私が拾うたお金ですから私の自由にさせて下さい。」と言ったら夫は、「いいですよ、自由に使いなさい。

その間、xz わが師、わが翼・姑こうなれば、ただひたすら産婦を我慢させ、私どもも心を落ち着けなければなりません。あせることは許されないのです。「吸引分娩」が可能な胎位に戻ってくれるか、さもなくば、鋤(かんし)子をかけられる状態がくるのを待つしかありません。陣痛が始まって二十時間近い経過は、私の産科医としての経験の中でも、全く初めてのことでした。もう、これしかない、祈るような気持ちでわずかな隙(すきま)間をつくり、顔面を押し込むと同時に手を紺子に引き換え、一気にかけて引き出しました。とても元気にないてノ、れました。口元が、温(あっし)先生(勇)そっくりな坊やでした。「ごめんなさいね。あなたがここに嫁にきたのでなかったら、もっと早く帝王切開分娩になっていたでしょうにね。

で、開いてみたのだが、一瞬で「もうダメだ、閉じて終わりだ」と思ったそうだ。ところが一瞬、棚にあったメディカルAが目に入った。先生は「いつちよやってみるか」と思い直し、あまり余裕もないので手でバシャバシャッとぶつかけたと言う。それでとりあえず閉じた。そして日目、「なんで死なないんだ?」ということになって、再びレントゲンを撮ってみた。そしたらまったく異常が見られない。乳嘩の漏れもない。鷲巣先生は症例の所見のところに次の一言を書いた。「リンパ腺が修復されたと見なきざるを得ない」。腸がくさってしまった症例もあった。そのときはきれいに洗って、腸も胃の中もきれいにしてからメディカルAをサッと塗ってみた。すると損傷を受けて妙な形になった腸や血管が、目の前でみるみる正常になってしまったそうだ。